60代・男性 治療歴1年の患者さん
65歳になっても老眼鏡なしで新聞が読めるくらい、眼の健康には自信のあったYさん。それが今年の夏頃から視界のかすみや文字の見にくさを感じ始め、いよいよ老眼鏡が必要か…と思っていたある日。車の運転中に何気なく片眼をつぶって前の車のナンバープレートを見てみると、右眼で見た時だけ数字の一部が欠けて見えることに気が付き、異変を自覚。かかりつけの眼科から紹介を受け、大学病院での治療を受けられました。
片眼を閉じると、右眼で見た時だけ数字が歪む。
これまで眼の病気はしたことがなく、新聞の小さい文字が老眼鏡なしで読めるのを、周りの友人に自慢していたくらいでした。それが2013年の8月頃から視界に煙がかかったようなかすみを感じ始めて。最初は、近所で何か燃やしているのかな…?と思ったりもしたのですが、9月に入ると何だか文字が見えにくくなってしまって、私もいよいよ老眼鏡が必要かなと考えていました。
ところがある日、車の運転中に何気なく片眼をつぶって前の車のナンバープレートを見てみたところ、右眼で見た時だけ数字の「8」が「3」に見えたり、「6」が「5」に見えたり、ひらがなの「こ」の下の横棒が消えて見えたりすることに気が付いたのです。それで「これは何かがおかしい。年齢のせいだけではなさそうだ。」と感じて、かかりつけの眼科へ行きました。
黄斑の一部が腫れ上がったような状態に。
眼科で診てもらったところ、右眼の血管が破裂して内出血を起こしているようだと診断されました。また、眼底の写真を見せてもらうと、黄斑の一部だけが腫れ上がったようになっており、治療には半年以上かかるだろうということで大学病院を紹介していただきました。
ただ、その後しばらくいろいろと予定があって忙しく、なかなか大学病院に行くことができませんでした。そうこうしているうちに10月末になり、この頃になると見え方も悪くなる一方で、見える方の左眼でばかり見ようとするせいか、大好きなTVを見ていてもすぐに眼が疲れてくるようになってしまっていました。
眼のせいで気分まで憂鬱に…。このつらさを何とかしたい。
大学病院を受診したのは11月のはじめでした。その時の私は以前のように見えない状態が憂鬱で仕方なく、このままでは見えなくなってしまうかもという不安も募っていましたし、少しでも早く解決したいという気持ちの方が強くなっていたので、どんな治療でも受けようと覚悟を決めました。
治療後は自然と節制するように。
大学病院で治療を受けてから2~3日経つと、視界の中のモヤモヤとしたかすみが消えてきて、4日目にはかなりクリアに見えるようになっていました。今、治療から約1ヶ月経ちましたが、見え方は普段の生活にも仕事にも全く支障がない状態です。
また、これまであまり気にしたことがなかった健康面にも気を遣うようになりました。もともとはお肉や揚げ物が好きなのですが、野菜を多く摂るようになりましたし、お酒も控えています。日差しが強い時はサングラスをかけます。眼に影響するかもしれないと感じることは、自然と節制するようになりましたね。
眼が見えることは、一時の恐怖に替えられない価値。
これは見え方が回復した今だから思うことですが、もっと早く病院に行けばよかった、もっと早く治療を受ければよかったと思います。視界を邪魔していたモヤモヤだけでなく、この先、見えないままだったらどうしよう…という憂鬱な気分までもいっぺんに消えましたからね。
もちろん治療に対する恐怖はありますが、見え方が正常に戻るのならば、それらには替えられない価値があると感じました。
※ すべての網膜静脈閉塞性症患者さんが同様の経過をたどるわけではございません。